take's column




2006年8月10日(木)

久し振りにコラムを更新しようと思います。

BOA SORTEは去年に続いて夏合宿を行うことになりました。
去年の合宿の時点では、それが最後の合宿になるだろうと思っていました。
4月になれば社会人になる人も増え、合宿に参加できるメンバーが少なくなると思ったからです。

今年も夏が近づいた頃、3人のメンバーが合宿開催を強く希望してくれました。
そのメンバーはみんな働いてる人達でしたが、しっかりと予定を押さえてくれました。
その人達の希望に応える為に、宿を押さえ、練習する体育館も押さえました。
他のメンバー達にも声を掛け、普段あまり来ない人達にも声を掛け、
さらには直接BOA SORTEに関わりがない人達にも声を掛け、
最終的には10人以上の参加者が集まってくれたのです。

しかし、やっぱりBOA SORTEはBOA SORTEでしかありませんでした。
どういう合宿にしたいのか、去年の合宿を踏まえてどう改善していくべきか。
そういった声をくれるのは、ほんの一部のメンバーだけ。
おまけに最初に合宿開催を希望していたメンバーの1人も、曖昧な理由で参加を渋りだす始末。

みんなどうして考えられないのかなぁ。
誰かの動向によって、宿泊先への影響にとどまらず他の参加者へも影響は出るし、
移動手段にもスケジュールにも影響が出ることを。
急に予定が入って参加できなくなることに文句なんかないさ。
だけど、本当に突発的な事由ならともかく、
ある程度先に予想できる事柄だったら前以てその可能性を伝えてくれてもいいと思うんだよ。
そしたらこちらとしても幾つかのパターンを考えて準備もできるし、
それを他のメンバーに伝えれば他のメンバーも色々と考えられるよね。
どう転んでもまとめてくれる人がなんとかやりくりして適当に整えてくれるでしょ、とでも思っているんでしょうか。
それともそんなことすらも考えていなかったりするのかもしれないけど。

団体行動ってさ、 「みんないるんだし、自分1人くらいじゃ大して影響ないでしょ」
なんて考えでいるべきじゃないと思う。
「みんないるから、自分1人の考えのない行動がみんなの迷惑になっちゃう」
って考えるべきなんじゃないかな。
少なくとも、僕はそう考えたい。そういう行動をしようと思う。

あまりにも合宿の予定が二転三転しすぎて、合宿自体取り止めたいくらいです。
でも間違ってもそんなことはしないので、他の参加者の方々はご安心を。
ただ、今年の合宿で本当に最後にするという決心をしました。
もう企画運営するのに疲れたよ。

そんなワケで、今回で“最後”となるBOA SORTE夏合宿をきっちりやり遂げて終わりにしようと思います。


2005年7月28日(木)

急遽出場が決まった今大会は久し振りのミックス。
今日もあきらくんとお母さんが観に来てくれた。
本日の助っ人として、糸井ちゃんとミキティ、永江くんと岡部くんが参戦。
初戦こそ0-1で落としてしまうものの、残り3戦で3連勝を飾る。
3戦目の後、両足に痛みを感じて靴を脱いでみると両足の小指の付け根辺りにまめができていた。
右足のまめは既に潰れていて、肉が見える状態…痛い!
そして決勝トーナメントへ。
準決勝、ミキティと糸井ちゃんと酒瀬川さんのゴールで快勝。
いよいよ決勝の舞台へ。
トントンと2失点を喫するが、前半終了間際に石川くんのゴールで1点差に追い上げる。
後半、何度かチャンスを作るも攻めあぐねてしまう。
しかし、石川くんの蹴ったロングパスがそのままゴールに吸い込まれて同点に!
それから3分間の延長戦に突入。
延長3分はかなり短く、最後に僕が左足のシュートをふかしてしまい、PK戦にもつれ込む。
1番手、2番手と両チーム共に決めるが、3番手の僕の蹴ったボールがGKに止められてしまい、試合終了。
みんな、ごめん。


2005年7月24日(日)

今日の大会はあきらくんとお母さんが観に来てくれた。
いつもより少し少なめの6人体制で挑んだ。
1試合目と3試合目でゴールを決めたけど、あきらくんは観ていなかったみたい(^-^;)
予選3試合を3連勝で勝ち上がり、決勝へと駒を進めた。
前半、呆気なく先制を許してしまうが、僕のCKから石川くんが決めて同点に追いつく。
いい流れのまま後半へと折り返した。
そして後半、僕がピッチの外に退いていると立て続けに2失点。
我慢に我慢を重ねた後、諦めきれずにピッチへ舞い戻る。
そして石川くんからのパスを左サイドで受けると、少し持ち込んでゴール上に蹴り込んだ。
だが、時既に遅し。
2-3のまま試合終了。
またまた準優勝…。
でも次がある。


2005年4月29日(金)

僕ほど今日の大会に対する熱意が強かった者はいないだろう。
今日までの1週間を振り返ろうと思う。
土曜、不意に現れた左膝の違和感。
日曜、少し足を引き摺る様な歩き方になった。
月曜、症状が悪化し膝が曲げられない状態に。
火曜、回復を促すために自宅静養し氷で膝を冷やし続けた。
水曜、無理して幼稚園に行ってみるけど身の危険を感じ午後から静かにアイシング。
木曜、昨日まで漕げなかった自転車が痛みを伴いつつだが漕げるようになった。
急激な悪化に急激な回復。
金曜、いよいよ大会本番当日。
いざ動いてみるとテーピングの力も借りて奇跡的に動けるようになっていた。
大会後に足の状態が酷くなるのも覚悟で挑んだ試合。
初戦開始直後、前線でのプレスで相手からボールを奪い早々にオープニングゴールを決めた。
2戦目でも先制ゴール、3戦目でもダメ押しの追加点。
腹を括るとプレイに迷いがなくなるもんなんだね。
そして辿り着いた決勝の舞台。
もう何度目かの決勝での劣勢。
今までなら焦りが先攻してこんなプレーはできなかった。
でも今日は違った。
2点ビハインドの後半残り2分、諦めない気持ちが反撃のゴールを生む。
ゴール左の角度が無い所、タイミングをワンテンポずらしてから素早くトゥキックで打ったシュート。
相手DFの足元とGKの左下を抜けてゴール右隅に吸い込まれた。
そして残り1分、前線に来たボールを敵を引き付けてスルー。
後ろから走り込んだ石川くんが執念の同点ゴールを決めてくれた。
試合を楽しんでやれていた事と、そして何より石川くんのプレーを信頼している事が大きかった。
諦めたら、そこで試合終了なんだ。
時間ギリギリで持ち込んだPK戦、僕は2番目のキッカーを選択。
ペナルティスポットに向かいながらGK君島さんを見て無言で頷いた。
今こそ明大祭のPKの呪縛から真に解放される時。
ボールが右足を離れてゴール左に運ばれるまでの間、少しずつ呪縛から解かれていく様な気分だった。
しかし、そのまま準優勝の呪縛まで解かれる事は無かった。
シロート大会、3大会連続準優勝という結果が残された。


2005年3月22日(火)

花粉症に悩まされている人もそうでない人も4月3日は花見で盛り上がろう!
日曜のバイトの時にアザリと花見について話してたら、2年前にやった花見の話になった。
毎週恒例だった日曜サッカーを終えて、そのまま中目黒に繰り出した。
みんなチャリなのに僕だけ原チャだったんで、アフシンのキックボードを借りて走った。
そして中目黒の東急ストアで買い出し。
ドアをくぐると地下にある売り場までのエスカレーターがある。
先頭で入った僕は、下に降りるエスカレーターの最上段で後ろ歩きをして後続が進めない様に遊んでみた。
何も反応がないので後ろを振り返ると、そこにはOL風のお姉さんが2人…。
クスクス笑われて後続にも笑われる始末!
お姉さん2人には店内で擦れ違う時までクスクスされるという苦い過去。
買い出しの後は目黒川沿いの桜並木をブラブラ。
それから場所を変えてとある公園で鬼ごっこを敢行(笑)
一見ただのアホだけど、この鬼ごっこはかなり楽しいんだよ。
果たして成人を向かえている今現在、鬼ごっこはできるのか?


2005年2月14日(月)

練習が始まると直ぐにアザリが試合をやりたがるので4vs4の試合へ。
いきなりアザリがドンピシャオウンゴールを決めたりする中、それは突然訪れた。
ゴール前でさこっちゃんに足を刈られてPKのチャンス。
キッカーは僕。
明大祭で2年連続で外して以来のPK。
練習なんだけど、異様な緊張感に包まれる。
右足から放たれたボールはゴールネットを揺らした。
呪縛からのささやかな解放。


2005年2月2日(水)

早いもので2005年も2つ目の月を迎えました。
1月は新年会以外の活動がなかったから早く球蹴りしたかった人も多いでしょう。
2/4はいよいよ2005年の初蹴りです。
一週間後の2/11には2005年の初大会が控えてるので、それに向けて頑張って練習しましょう。
ついにアザリも復活することだし、いいスタートが切れそう。
2005年も宜しくお願いします。

あ、GKグッズ代をまだ払ってない人は払ってくださいね。


2004年12月12日(日)

嬉しいニュースは諭一が12/26,28の大会と忘年会に来れそうだという事。
悲しいニュースは都合によりアザリが12月不参加となってしまった事。
そして参加してくれそうだったマッスルの参加もなくなってしまった事。

僕が連絡手段として送っているBOA SORTE通信。
この返事をしてくれる人は決まった数人だけ。
あとは読んだんだか読んでないんだかわかりゃしない。
練習や大会への参加連絡や忘年会の意見を求めても何もない。
アザリが急遽不参加になった事で12/26の大会が人数不足になった。
こういう時こそ参加連絡はきちっとしてくれないとまとめる側としては相当きつい。
みんながみんなメンバーへの配慮が足りないよ。


2004年11月11日(木)

昨日の夜、Y朗からメールが届いた。
年末の2大会と忘年会に出られそうだとの事。
ついにY朗復活。
マッスルも12/26と12/28のどちらかの大会に参加予定。
年末は楽しくなりそう。
それまでに新生BOA SORTEを確かなものにしたいね。
まずは目の前の試合に標準を絞ってステップアップ。


2004年10月30日(土)

今日は明大祭フットサル大会→BOA SORTEの大会というスケジュール。
チェリーズ5として出場した明大祭フットサル大会
200チームも参加とあって、初戦は3vs3のPK戦。
当初1番手のはずが、急遽2番手に。
試合展開で外せば負けが決まる場面になってしまった。
そして僕はゴール左に外してしまう。
去年に続きまたしても最後のキッカーに…。
僕はもうやるせない気持ちでその場にへたり込んだ。
この悔しさを胸に来年まで暮らして行こう。
そしてリベンジを果たしてやる。
初戦敗退したその足でBOA SORTEの大会に向かう。
序盤はいい戦い方ができたのに、最後は不甲斐無い試合になってしまった。
これは10/24に僕自身が痛感したことだが、
負けがほぼ決まった場面でも試合を投げてはいけない。
諦めたら、そこで試合終了だよ。
もっと強い気持ちで試合に臨もう。
きっとメンバーもそう思ってくれたはず。


2004年10月24日(日)

今日の大会はかなりヘコみました。
前日に腰を痛めて身体を捻れなかったのはこの際関係ない。
2試合目の後、ヘコみつつずっと反省してました。
そんな中、3位決定戦では相手の21番のラフプレイにどう対処していいのか判断しきれず、
中途半端なプレイしかできなかった。
大会後の飲み会で普通に装ってはいたけど、ずっと悩んでました。
後半、テンションが上がりきらなくてごめんなさい。
僕はもう少し自問自答します。


2004年7月12日(月)

早いうちにチーム内で話し合う機会が必要だと思った。
同時に、不満があるならまずチーム内で言って欲しいとも思った。
メンバー各々で捕らえ方が違うのも解ります。
しかし、チームとして立ち上げる前までのサッカーの延長でチームを作って、
甘すぎず厳しすぎず、短いながらも今までチームをやってきたつもりです。
僕の考えとしては、ただの遊びとしてのサッカーではなく、
チームや個人としての成長を目指したサッカーをしているつもり。
大会でいい結果を出すために頑張るし、サッカーそのものを楽しむためにも頑張るチーム。
ただ、練習への参加を義務付けたり、細かい決め事を作るつもりはありません。
友達同士だし、今までサッカーやってきたんだから、メンバー同士で話し合ったりできるはず。
でも一方的に文句を言うだけなのはやめてくださいよ。
もう一端の大人なんだから、お互いの考えを認め合って同じ方向を見られるようにしていきましょう。


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